f64f5991.jpg今日は、私の会社の創設者である父親の13回忌でした。
いろいろな所に連れて行ってくれた、非常にユーモアのある父親に何の親孝行もできなかった(やらなかった)ことには少し後悔があります。

さて、本日の法要後にお話いただいた説法を紹介させていただきます。

◆共命鳥(ぐみょうちょう)の教え◆

佛説阿弥陀経という経典の中に六羽の鳥の名前が出てきます。
その一羽が共命鳥(命命鳥)と言われる鳥です。
その鳥は、胴体が一つで首から上は二つあるという鳥です。
二つの頭があるのですから、心も二つあるという事になり、考えることも好みもそれぞれ異なっており、何時も意見の相達でけんかがたえませんでした。
ある時片方が我慢できなくなり、「こいつさえいなければ本当にいいのに」と考え、相手を困らせるつもりで毒の実を食べたのですが、たしかに片方の頭は生き絶え絶えとなり苦しみ出しました。いいきみだと思っていたら自分まで苦しくなり、気がついた時にはすでに手後れ、一つの胴体しかない共命鳥(命命鳥)は死んでしまったのです。
仏教が共命鳥(命命鳥)を通して教えようとする事は、共に生きているにもかかわらず、自己中心に生きている人達に対して、「別々に見える命もお互いに共有された命なのだ」と言う事を教えて下さっているのではないでしょうか。
私達は『地球上のすべての人たちとともに生きている』ということをいつも考えていなければならないような気がしますね。